生涯研修の制度化への取り組み
1.制度化までの経過について
本会における生涯研修の取り組みは, 本会の設立当初から始まっていた。 本会が任意団体として発足したのは1993年1月である。 設立総会では, 社会福祉士の熱い想いの結集として, 本会会則が承認された。 その前文には 「われわれは, みずからの資質と専門的な技能を高めるために不断の研鑽に努める」 とある。 初年度の事業計画にも, 生涯研修体制の整備や強化があげられていた。 1993年3月には, 第1回の社会福祉士実態調査が実施された (調査研究小委員会委員長・泉亮)。 この調査では, 社会福祉士の基本的属性と専門性に対する意識についての調査をしているが, この分析結果では, 会員から会への期待として 「情報提供」 と 「継続研修」 が高い割合を占めていた。
そこで翌年1994年には 「社会福祉士会生涯研修特別委員会 (委員長・仲村優一)」 が設置され, 本格的な生涯研修体系についての研究協議が始まった。 委員会では, 他職種の職能団体における生涯研修制度や, 海外のソーシャルワーカーの継続研修について調査をしたり, 主に具体的な研修ニーズの把握をすることを目的として第2回社会福祉士実態調査 (1995年1月) を実施した。 それらを基礎データにして, 委員会では本会の生涯研修のあり方について基本的な考え方を明らかにしていった。 この結果は1996年2月 『日本社会福祉士会生涯研修プログラム開発特別委員会報告書』 としてまとめられている。 この報告書はその後の本会生涯研修体系を制度化していく基礎となっている。
1996年4月, 本会は社団法人として認可された。 これによって対外的にも生涯研修制度を有することが急務となった。 そこで仲村委員会の報告内容を具体的な制度として確立していくために 「生涯研修制度化検討委員会 (委員長・宮本節子)」 が発足する。 2年間にわたり約40回にも及ぶ委員会を重ね, 支部研修の実態調査, 基本要綱案, 研修履歴の管理方法, 研修プログラム開発を含む 「基本構想案」 の検討が行われた。 このときに共通研修課程として社会福祉士の共通基盤の必要性が議論された。 これが今日の6領域と呼ばれる共通基盤の原型である。
1998年, 福岡での第6回全国大会総会において生涯研修制度基本構想が承認される。 これを受けて, 具体的な基本要綱の条文作成等の作業に入る。 また制度の開始に向けて, より実際的な検討準備を行う。 支部の研修担当者会議も開催し, 基本的な合意事項の確認や, 今後の進め方等についても協議が重ねられた。 また具体的な 「基本要綱 (現・基本規則)」 「実施細則」 等がしかるべき手続きのもとに決められていった。
そして1999年4月に生涯研修制度が本格的に導入される。 生涯研修センターの業務開始とともに 「運営委員会 (委員長・高橋紳一)」 が設置された。 また全会員に対して 「生涯研修手帳」 と 「生涯研修ガイド」 が配布された。 またこの年から生涯研修プログラム基盤構築事業に着手する。 全国8会場における社会福祉士全国統一研修が始まり, その際に活用する教材としてのテキストが必要になった。 そこで編集委員会が設置され, 具体的に6領域の内容を編纂するという作業を行った。 その結果2001年に 『社会福祉援助の共通基盤』 が発刊された。
その後, この 「6領域」 の考え方は, 社会福祉士全国統一研修におけるプログラムや社会福祉士学会における分科会の枠組みに反映されながら, 今日に至る。
2.1995年の出来事
本会の生涯研修を考えるときに, 大きな軌跡になることが1995年にあった。 一つは同年1月に長野県の諏訪で第3回全国大会と同時開催された日本社会福祉士会・社会福祉学会である。 本会は設立時より年1回の全国大会と学会を開催してきたが, 第1回, 第2回全国大会までは, 他の関連学会等を真似て 「高齢者」 「障害者」 「児童」 といった分野別の分科会を組織し, そのなかでの研究協議を行っていった。 しかし第3回全国大会では学会運営委員会 (委員長・志田利) と長野県実行委員を中心に多くの会員が議論を重ね, 新しい分科会の枠組みが模索された。 具体的には従来の分野別の縦割り的な分科会の構成を廃し, ソーシャルワークの共通基盤に基づいた横断的なテーマ構成 (「社会福祉士のネットワーク」 「在宅福祉のサービスの展開」 「参加型福祉社会の創造」 「様々な人たちの人権擁護」 等) にしたのである。 当初はこの案についての反対意見 (多くの場合は戸惑いや不安であったが) が多かった。 しかし既存の枠組みでは, 社会福祉士としての専門性を構築していくことに限界を感じていた。 そしていろいろな職場に所属している会員が一堂に会して, 一つのテーマを多角的に検討していくことこそが本会の独自性を蓄積していけるのではないかという結論に至った。 結果として参加者からは高い評価を受けた。 こうした横断的な分科会を用いることで, さまざまな職種にいる社会福祉士が共通に議論していくことの重要性を認識した出来事であった。
もう一つは, 阪神・淡路大震災への救援活動に, 本会として組織的に一丸となって取り組んだことである。 この活動は本会にとって大きな試練と結束をつくる礎となった。 結果として生涯研修特別委員会における協議にも大きな影響があった。 委員会では常に 「社会福祉士とは何か」 という議題を土台にしながら検討を積み上げようとしていた。 その際, 全国各地から被災地へ駆けつけた社会福祉士の仲間たちからの報告は, 多くの示唆を与えた。 それらを一言で置き換えれば 「われわれは人の生活を支える専門職」 であることを再認識したのである。 混乱した現場では各分野の専門性ではなく, まず 「社会福祉の専門職」 として何ができるのかが地域住民や他の専門職から問われた。 社会福祉士は何ができるのかということを, 理屈ではなく, まさに現場のなかで問い返されたのである。 そのときに共通した答えの一つが, 相談援助の専門職として生活を支えるというジェネリックな力量が社会福祉士に必要であるということであった。
設立したばかりの時期に, 多くの会員がこうした共通体験をしたことが, 本会の礎になっていくのであるが, 研修制度を考えていくうえでも大きな影響を及ぼした出来事である。